Shibata Toyokatsu
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日本共産党 前横浜市会議員 しばた豊勝(神奈川区)
プロフィール
私の歩いた道3

 23才の時に地方選があり、神奈川区の小林幸氏から、「前回の倍の得票があれば当選できる、しかし専従がいない。柴田君、職場を退職してほしい」という要請がありました。多少の迷いもありましたが、約6年間働いた、アサノドックを退職し、党の専従職員になりました。1971年2月のことでした。

 県会の在原稔候補を当選させることはできませんでしたが、小林幸さんは初議席を得ることができました。神奈川区の選挙区部長、事務長として無我夢中でした。以後日本共産党の専従役員としての本格的な活動に向かいました。

結婚式の写真
1977年4月 結婚式
千歳空港での写真
1977年8月北海道千歳空港で、妻と

 その後、30才で結婚しました。当時神奈川県の外郭団体で保母をしていた千穂子は当時26歳でした。私は秋田県、彼女は北海道の出身で、同じ北国であったことが共通点でした。女1人男2人の3人の子どもにも恵まれました。子どもが小さい時には、保育園父母会長や3人の子供の親として、小・中・高PTA活動にも参加してきました。 現在は全員成人しました。それぞれの人生を歩んでいます。

44歳で初当選
  小林幸議員の後継者として神奈川区の市会日本共産党7代目の候補者と決定。「若さと行動力バツグン」をキャッチフレーズに44歳で初当選。要求や問題があれば、すぐに現地を調査し、「調査なくして質問なし」をモットーに、地元神奈川区と横浜市全般にわたり、市議会の本会議や予算・決算特別委員会で40回以上の質問と討論で頑張ってきました。

48歳で再選ならず
得票を約1,000票増やしたものの定数7から6の減も重なり、次点となり再選なりませんでした。4年間の議員経験を生かして、住民運動に、党を大きくする仕事に全力投球しました。この間に、県立港北高校PTA会長を2年努めました。
また、県会候補として活動を開始した大谷つとむ氏との二人三脚で奮闘しました。

52歳で議席を回復
前回得票を1.3倍にして議席を回復しました。党の大きな躍進で10議席の一員として、議会運営委員、環境事業・緑・消防委員会の副委員長、市民建築委員会副委員長、接収解除促進特別委員会副委員長などの多数の役職を歴任しました。
  また、 神奈川区の民生委員の推薦委員長の任務は現在も担っています。横浜全体のこと、地元神奈川区のことを全力で奮闘してきました。

56歳、3回目の当選となる
 定数6人を10人で争う大激戦をクリア、3回目の当選となりました。全国も神奈川・横浜も厳しい状況となり、党横浜市議団は6人と大きく後退する中、貴重な党の議席を生かし、党を大きくする仕事、市内の各種市民運動や政策活動の前進に努力。また、住民要望の実現に奮闘中。



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